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      <title>日光東照宮</title>
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      <description>日光東照宮を含めた日本の文化遺産、自然遺産を紹介します。</description>
      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2007</copyright>
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         <title>日光旅行のお手伝い！</title>
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         <pubDate>Thu, 25 Oct 2007 14:18:41 +0900</pubDate>
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         <title>屋久島</title>
         <description>屋久島は、鹿児島市から南に約130kmの海上に浮かぶ、周囲約132kmのほぼ円形の島。東京都23区ほどの面積の小さな島には、日本列島の植生が凝縮されています。こうした特性と、自然林が作り出す景観の美しさから、世界遺産に登録されました。

北緯30度に近い屋久島は、常夏の亜熱帯の北限であるとともに、厳寒のシベリア気団の影響を受ける地域の南限でもあります。
また、島の面積の9割が山岳地帯で、島の中心部には、標高1935mの高峰・宮之浦岳など標高1800mを超える7つの山々が連なっています。こうした山岳地帯特有の、標高差による気温の変化が著しいため、海岸線から標高が上がるにつれ、亜熱帯植物群落、広葉樹林帯、針葉樹林帯、亜高山帯植物群落へと植生が変化していきます。

屋久島の植生のもう一つの大きな特徴が「屋久杉」。屋久杉とは、屋久島固有のスギのなかで樹齢1000年を超えるもの。現在2000本以上あり、中でも1966年に発見された「縄文杉」は高さ30m、根周り43m、胸高周囲13.8mの巨木である。その樹齢は、7200年説、6300年説、2170年説など諸説があります。
通常、スギの樹齢は数百年と言われているが、花崗岩質の屋久島では、地表の栄養分が少なく、生長が遅くなります。
生長が遅い分、幹の目は詰まり、樹脂の量が他の地域のスギの6倍以上となっていきました。堅い幹と豊富な樹脂により、スギは腐ることなく年を重ね、ゆっくりと巨大化していった。また、「月に35日雨が降る」と言われるほどの大量の雨も、スギの生長に大きな影響を与えてきました。
古来、島民は屋久杉を神木と崇めて、伐採はしていなかったが、16世紀に豊臣秀吉の命令で、京都に建立する方広寺の建材にするために伐採されると、以来、20世紀まで建築用建材として、伐採が集中。小杉谷は「屋久杉の墓場」と言われるほど禿山と化してしまいました。
1964年に国立公園に編入され、保護活動が活発化し、現在では、屋久杉の伐採は、いっさい禁じられています。

こうした植生や森林は、1900種以上の多様な植物を育み、ヤクシカやヤクザルなどの島固有の動物たちの楽園となっています。</description>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">09日本の世界自然遺産</category>
        
        
         <pubDate>Thu, 20 Sep 2007 12:04:40 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>白神山地</title>
         <description>白神山地は、屋久島とともに1993年12月、日本で最初の世界遺産として登録されました。

白神山地は、1000万年以上前は海の中にあった。そのため、地盤のほとんどは堆積岩で成り立っています。

こうした地盤の性質上、白神山地は、崩落や地すべりが起こりやすい。地すべりの多い地形は、ブナの生育に適しているため、白神山地には、世界でも最大級のブナの原生林が形成されました。
現在、世界にあるブナは11種。そのうち日本には、岩手県以南の太平洋側の山地に生息する、イヌブナ（クロブナ）という固有種と、北海道南部の平地を北限とし、白神山地などで見られる、もう一種（シロブナ）の2種があります。

ブナ林を生息地とする動植物も数多く見られる。天然記念物に指定されているニホンカモシカ、ニホンザルやツキノワグマなど、哺乳類14種、鳥類は、幻のキツツキといわれるクマゲラ（天然記念物）やイヌワシなど84種、昆虫類は約2000種も確認されています。

また、絶滅の危機に瀕したランなどの植物も多数生育。ナデシコ科のアオモリマンテマなど、新種の高山植物も続々と発見されています。

戦後、土地開発や建材用として伐採されていたが、1980年代に保護区に指定された。山地の一部、面積169.71km2（青森県側 126.27km2、秋田県側 43.44km2）が世界遺産に登録されています。


１９９３年登録</description>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">09日本の世界自然遺産</category>
        
        
         <pubDate>Thu, 20 Sep 2007 12:02:33 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>知床半島</title>
         <description>オホーツク海に突き出たような知床半島は、地球上、もっとも低い緯度で海水が結氷します。
ホーツク海に大量に流れ込むアムール川の真水が、海の表層の塩分濃度を薄めるため、水深50m以上の濃度の濃い層とは、対流しにくくなります。対流が少ないと、海は短期間で冷却し、結氷が起こります。こうして流れ着いた海氷には、豊富な植物プランクトンが含まれています。

春になって氷が融けると、プランクトンは爆発的に増殖し、スケトウダラやシロザケなど、海の動物たちに大きな恵みをもたらしています。そして、サケやマスは、川を上り、森に棲むキタキツネやヒグマの食料となる。知床の海氷は、海の動物だけでなく、知床半島全体の生物たちに、大きな影響を及ぼしているのです。

海底火山の隆起によって誕生した知床半島は、その中央部には、1500m級の知床連山が背骨のように連なり、海岸線には、太古の昔から、波と海水に浸食されてできた断崖が続く。こうした険しい地形と、厳しい気象条件のため、開発とは無縁の地でした。そのため、豊かな自然が残され、数多くの野生動物が棲息しています。

キタキツネやヒグマなど陸棲哺乳類35種、ゴマフアザラシやトド、ミンククジラなどの海棲哺乳類28種、天然記念物のシマフクロウ、クマゲラなどの鳥類264種、爬虫類8種、両生類3種、昆虫は2500種以上。また、植物では、シコタンヨモギや固有種のシレトコスミレなどの高山植物233種を含む817種が確認されています。


◎２００５年登録</description>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">09日本の世界自然遺産</category>
        
        
         <pubDate>Wed, 19 Sep 2007 19:18:34 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>白川郷と五箇山の合掌造り集落</title>
         <description>白川郷、五箇山というのは、江戸時代以前からの地名で、白川郷は岐阜県白川村荻町地区、五箇山は富山県南砺市相倉地区と菅沼地区。
この地域は、国内有数の豪雪地帯で、道路の整備がされるまで、他の地域との交通の便が悪い隔離された地域でした。

こうした厳しい環境や大家族制に適した建築様式として発達したのが合掌造り家屋です。

合掌造り家屋は、急勾配の屋根、広い床面積、3〜5階建ての内部構造などを特色としています。急勾配の屋根は、雪下ろしの負担を軽減するとともに、この地域では、雨量が月平均180mmにも及ぶため、水はけを良くする役目も果たします。

さらに、この地帯は、険しい山間部で平地が少なく、稲作には不向きなため、養蚕や塩硝の生産などが盛んになりました。

こうした作業には広いスペースが必要であったため、合掌造り家屋の屋根裏には、広い作業場が設けられ、明治時代末頃までは、限られた耕地が分家によって細分化することを防ぎ、人手のかかる養蚕業の労働力を確保するため、長男以外は妻帯を許されておらず、一家族、数十人という大家族制でした。

広い床面積を持つ合掌造り家屋は、大家族制にも適した構造となっていました。

◎白川郷
3集落の中で最大の規模。集落は、南北に走る自動車道と村道を中心に広がっており、家屋は、ほとんどが庄川と平行に並んで建っている。現在、113棟の合掌造り家屋が残されていますが、遺産に登録されているのは、そのうち保存状態の良い59棟。

◎相倉
江戸時代末期から明治時代にかけて建てられた家屋が多く、20棟の家屋が遺産として登録されています。白川郷とは異なり、屋根に煙抜き、妻側に庇があり、土間が広くなっています。

◎菅沼
遺産として登録されているのは9棟。とりわけ土地が狭いため、耕作地と宅地が分かれており、入り口脇に便所が設けられている家屋もあります。



◎１９９５年登録</description>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">08その他の文化遺産</category>
        
        
         <pubDate>Wed, 19 Sep 2007 18:36:07 +0900</pubDate>
      </item>
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         <title>紀伊産地の霊場と参詣道</title>
         <description>紀伊山地は、熊野三山、高野山、吉野山の3つの霊場を結ぶ聖域として、崇められてきた、信仰の地です。

仏教伝来以来、山岳修行が盛んになると、神仏習合や修験道など、さまざまな宗教観が反映された独特の思想が発展。紀伊山地の神社や寺院は、建築様式や工法といった価値よりも、山や滝、川などの自然環境と結びついた景観の価値が高いです。

◎吉野・大峯
桜の名所として有名な吉野山の一帯で、世界遺産に登録されている寺社は、金峯山寺、大峰山寺、吉野水分神社、吉水神社、金峯神社。現在でも修験道の聖地として、多くの信者、修験者が訪れます。金峯山と呼ばれていたこの地は、古くから神の籠もる山として崇められていたが、7世紀末に、修験道の開祖役行者が修行に入り、現在の金峯山寺、大峰山寺の起源となる寺院を開いたといわれています。

◎熊野三山
熊野三山と呼ばれる、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社は、それぞれ別の起源を持つが、神仏習合の影響で、平安時代中期以降、三つの神社は一体のものとして信仰されるようになりました。平安時代後期には、後白河上皇、後鳥羽上皇をはじめ、皇族、貴族らが盛んに熊野詣でを行いました。「熊野三山」に含まれる遺産は、3社のほか、青岸渡寺、那智大滝、補陀落山寺、那智原始林があります。

◎高野山
高野山は、816年に空海が真言密教の根本道場として、金剛峰寺を建立したことに始まります。「高野山」に含まれる遺産は、金剛峰寺の建造物と景観、山麓の丹生都比売神社（にうつひめじんじゃ）、慈尊院、丹生官省符神社（にうかんしょうふじんじゃ）があります。

◎参詣道
世界遺産に登録されているのは、大峯奥駈道、熊野参詣道、高野山町石道の3ルート。平安時代以降、上皇や貴族の熊野詣でが盛んになるにつれ、参詣道も整備されていきました。
参詣道は、あくまで「修行の場」であったため、豊かな自然を生かして整備されています。



◎２００４年登録</description>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">08その他の文化遺産</category>
        
        
         <pubDate>Wed, 19 Sep 2007 18:32:21 +0900</pubDate>
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         <title>古都奈良の文化財</title>
         <description>奈良の都・平城京は、古代日本の最初の都。唐の都・長安をモデルとし、碁盤目状の整った区画を持つ新しい都は、わずか4年間で造営された。784年までの74年間に、7人の天皇が居住。中国や朝鮮半島と交流する国際都市として、文化的、政治的に繁栄しました。

「古都奈良の文化財」に登録された遺産のほとんどが、平城京との関わりを深く持ち、隆盛した往時の面影を今も伝えています。とりわけ、平城京遷都の十数年前に日本に入ってきた仏教の影響が色濃く、寺院の建立や仏像美術の造作を通じ、日本の木造建築技術は文化的、芸術的に著しい発展をとげました。

国をあげて仏教を信奉した時代の文化財は、今日でも多くの人々に信仰され続けています。

世界遺産として登録されたのは5つの寺院と1つの神社、原始林、そして遺跡の計8件。寺社建築だけでなく、森林や地下遺構が含まれている点が特徴です。



◎１９９８年登録</description>
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         <pubDate>Wed, 19 Sep 2007 18:30:36 +0900</pubDate>
      </item>
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         <title>法隆寺地域の仏教建造物群</title>
         <description>「法隆寺地域の仏教建造物群」として登録された遺産は、法隆寺と法起寺の二つ。
現存する世界最古の木造建築物を含み、聖徳太子にゆかりの深い、飛鳥時代の貴重な文化財を、1400年にわたって今に伝えています。

◎法隆寺
斑鳩里、18万7000m2もの広大な敷地の中に、総数125棟の建造物が建ち並びます。
境内は、西院と東院、二つの伽藍群で構成されている。西院は、聖徳太子創建の若草伽藍を起源とし、金堂、五重塔、大講堂、中門、回廊などで構成されています。
中でも金堂は、世界最古の木造建築物である。一方、東院は太子の住居（斑鳩宮）跡に建立された上宮王院がもとになったもの。739年に建立された八角円堂の夢殿があり、堂内には、聖徳太子の肖像といわれる久世観音像が本尊として安置されています。
法隆寺の建造物のうち、18棟が国宝に指定されており、そのうち11棟が1100年以上の歴史を持ちます。また、35棟が重要文化財に指定されている。所蔵する宝物のうち、170点が国宝、2300点が重要文化財に指定されており、まさに仏教芸術の宝庫と言えます。

◎法起寺
638年に、聖徳太子の遺言によって創建された寺院。創建当初は、東に三重塔、西に金堂という伽藍配置で、法隆寺とは逆の方式を取ります。三重塔は、創建当時の建造物として現在唯一残るもので、国宝に指定されています。三重塔として最古であると同時に最大規模のものです。装飾などに法隆寺の五重塔との共通点が数多く見られます。


◎１９９３年登録</description>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">08その他の文化遺産</category>
        
        
         <pubDate>Wed, 19 Sep 2007 18:28:14 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>古都京都の文化財</title>
         <description>京都は京都の町自体が文化遺産となっています。

794年の平安京遷都以来、1000年以上にわたり日本の首都であった京都。
長い歴史の中で育まれた日本の伝統文化が、今なお息づき、街全体に独特の雰囲気が漂います。情緒あふれる町並みや、歴史ある建造物など、見どころも多く、訪れる観光客は後を絶ちません。また、遺産そのものの価値もさることながら、四季折々の豊かな自然がみごとに調和し、さらに美しく彩られます。
世界遺産として登録された遺産は17件。平安から江戸時代にかけての、各時代を代表する建築様式や庭園、歴史の舞台となった建造物などが、時代を超え、往時の栄華を今に伝えています。平安京遷都から1200年の記念すべき年に登録されました。

京都は本当に美しい町ですよね。
私も一度だけ行きましたが、夏はとても暑かったです。。


◎１９９４年登録</description>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">08その他の文化遺産</category>
        
        
         <pubDate>Wed, 19 Sep 2007 18:25:55 +0900</pubDate>
      </item>
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         <title>姫路城</title>
         <description>『白鷺城』と呼ばれる華麗なたたずまいは、城郭建築の最高傑作と言われている。1580年、羽柴秀吉（豊臣秀吉：1536〜1598）によって築城されました。

22haもの広大な敷地は、堀と高い城壁に護られている。中心部にそびえたつ大天守は、外からは五重に見えるが、内部はは地下1階、地上6階の7階建て。火矢による攻撃を防御するため、がっしりと組まれた石垣の上の壁には、漆喰が塗られています。

城内は迷路のように複雑な配置になっており、土塀や櫓には石落としと呼ばれる仕掛けや、弓や鉄砲を使うための狭間など、防衛の為のさまざまな設備が施され、堅牢な軍事施設であることをうかがわせます。
その一方で、白漆喰で塗りこめられた外壁や、円形・三角・四角と並ぶ狭間の形、門の装飾的な鉄製金具など、いたるところに遊び心が垣間見え、戦国武士の美意識も感じられます。


◎１９９３年登録

とても優美な姿から白鷲城とも言われています。</description>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">08その他の文化遺産</category>
        
        
         <pubDate>Wed, 19 Sep 2007 18:24:29 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>石見銀山遺跡とその文化的景観</title>
         <description>2007年での登録を目指していた石見銀山は、世界遺産委員会の諮問機関ICOMOSより『普遍的な歴史的価値の証明が不充分』という理由で「記載延期」の評価を受けたため、登録見送りという可能性が高かったのですが日本政府や島根県による意見書などで巻き返しをはかり、2007年7月、ニュージーランドのクライストチャーチで行われた第31回世界遺産委員会において、遺産リストに登録されました。

石見銀山は、鎌倉時代末期には、すでに発見されていましたが、1533年、朝鮮半島の技術者から伝来した精錬技術「灰吹法」により、採掘量は飛躍的に伸びました。

大航海時代には、ヨーロッパや南米まで石見銀山の名は知れ渡り、銀は日本の貴重な輸出資源となり、特に16〜17世紀には、銀の採掘量は増加の一途をたどり、日本の銀の産出量は、世界の3分の1に相当したとされており、その日本の銀の大半を産出するまでになりました。

江戸時代に入ると、石見銀山は、幕府の重要な財源の一つとして、この地域は、幕府直轄となり、周辺地区は計画的に整備されたが、徐々に採掘量は減少し、大正時代に休山となりました。
休山後、大規模な採掘や開発が行われなかったため、室町時代から明治時代当時の採掘方法や採掘跡が良好な状態で保存されている。また、江戸時代の面影を残す町並みも、登録地域に含まれています。

◎銀山柵内
石見銀山遺跡の中心地で、蔵泉寺口番所から龍源寺間歩まで。柵内とは「銀採掘に関わる人々の集落」という意味。銀の生産地、技術者や労働者の住居、寺社、番所などがあります。

◎大森地区
1601年に初代奉行が江戸から派遣され、以降、発展したエリアで、代官所前から羅漢寺までの町並み。

◎周辺地区
銀の積み出しや資材の輸送に使われた港や街道、銀山争奪にかかわる城跡などです。




◎２００７年登録
日本で最新の世界遺産です。
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         <pubDate>Wed, 19 Sep 2007 18:21:42 +0900</pubDate>
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         <title>広島平和記念碑（原爆ドーム）</title>
         <description>若い世代の人なら一度は必ず修学旅行で行くのでは？この建物を見た時は本当に衝撃でした。知識として持っていただけのことが一気に現実になった瞬間ですね。

1945年8月6日、米軍の爆撃機エノラ・ゲイが世界で最初に原子爆弾を広島に投下しました。

広島市の「原爆ドーム」は、新たな大量殺戮時代の幕開けを世界に向けて警告し、平和への警鐘を鳴らしています。

原爆は、広島市中心部の上空570mで爆発。爆心地から2km以内にあるものはすべて破壊され、20万人以上の市民が犠牲となりました。

犠牲者の中には2万人以上の朝鮮人強制労働者も含まれていた。戦後も被ばく後遺症で亡くなる人があとを絶たず、60年が経つ現在でも、大勢の被ばく者が苦しんでいます。

焼け野原に残ったのは、「広島県産業奨励館」の廃墟だった。設計は、チェコ人の建築家ヤン・レツル氏によるもので、1914年から15年に建てられ、楕円形のドーム、壁面のうねりなど大胆なヨーロッパ風の建物は、当時の広島のシンボルともなっていました。

原爆の投下により、建物内にいた人はすべて即死した。また建物は一瞬にして大破し、天井から火を吹いて全焼しました。
爆風がほとんど真上から到達したため、建物の壁の一部は倒壊を免れたが、ドームの鉄枠とともに象徴的な姿をさらしています。
平和祈念資料館には、この恐るべき爆弾の醜さが克明に記録されている。原爆ドームは、原子爆弾のない世界を築き、恒久の平和を守るよう、後世に向けて訴えています。



◎１９９６年登録</description>
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         <pubDate>Wed, 19 Sep 2007 18:17:58 +0900</pubDate>
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         <title>厳島神社</title>
         <description>たびたび台風の被害にあっている厳島神社ですが、周囲の人々の献身的なメンテナンスにより今も美しい景観を保っています。

宮島の海岸に、水に浮かぶようにして建つ朱塗りの厳島神社は、独特の美学を持ち、完成された端正な姿の中に、神道の自然崇拝を表現しています。

宮島は古くから聖域とされ、11世紀までは神官しか島に渡ることが許されていませんでした。
現在でも、不浄を避けるため、島内には墓地がない。主要建築は、1556年から71年に建造されたが、朱塗りの美しい本社は、現在とほぼ同じものができた平安時代（12世紀）の様式そのまま。
大小八つの建物が、浅瀬に打った杭の上に建ち、回廊で結ばれています。陸の部分には外宮の建物が続き、高さ16mの大鳥居は、1875年に立てられ、本社から175m離れた海の中にそびえ立ちます。
三人のヒメノミコトを祀る厳島神社は、日本三景の一つに数えられる宮島に、神聖なる厳粛さを与えています。
宝物には、平清盛自らしたためた写経（「平家納経」国宝）などがあり、平家に深く関わりがありますが、後の将軍や武将も寄進しており、今でも様々な祭礼や能楽、舞楽が催されています。


◎１９９６年登録</description>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">08その他の文化遺産</category>
        
        
         <pubDate>Wed, 19 Sep 2007 18:11:37 +0900</pubDate>
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         <title>琉球王国のグスクおよび関連遺産群</title>
         <description>琉球は、12世紀から17世紀まで、自治王国の地位を維持しながら、日本と中国、韓国、東南アジアを結ぶ中継貿易の拠点として、活発な外交・貿易を展開しました。

琉球王朝文化は、こうした交易を通してさまざまな海外文化を吸収し、独自の文化を融合させながら発展していきました。

中でも、グスクと呼ばれる石積みの建築技術は、琉球独自のもの。技術的にも芸術的にも優れた文化があったことを示しています。

グスクの多くは、その内部に拝所（うがんじゆ）を備えており、集落の中核となるとともに、今日まで多くの住民の信仰を集めています。

登録されたグスク跡は、かつての姿を完全に残しているものはないが、失われた琉球社会を象徴する遺産として、貴重なものです。

「琉球王国のグスクおよび関連遺産群」として登録された遺産は9件。5件の城跡と2件の宗教遺跡、陵墓と庭園が登録されています。

沖縄に旅行に行った際にはぜひ行ってみて下さい。
真っ赤な首里城は圧巻です。



◎２０００年登録</description>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">08その他の文化遺産</category>
        
        
         <pubDate>Wed, 19 Sep 2007 18:07:37 +0900</pubDate>
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         <title>境内彫刻の解説</title>
         <description>日光東照宮の表門をくぐって左に進むと、主な部分を塗っていない唯一の素木造りの建物があります。

神厩舎といい、最初には徳川家康公が関ヶ原の合戦に乗馬された馬が奉納されました。現在の大きな神社には 必ず厩舎（うまごや）がありますが、この厩舎は日本の神社建築史上 最初に境内に建てられたものです。

昔から 猿は馬を病気から守るとされたため、長押の上には 猿の彫刻が彫られています。左から順に８面にわったって 猿の一生を描きながら ｢人の生き方｣ を伝えています。


１　手をかざした母猿が子猿の将来を見ている。子猿は信頼して母猿の顔をのぞきこんでいる。

２　子供のとき （純粋な時）には、悪いことを｢見ざる・言わざる・聞かざる｣が良い。

３　一人立ち直前の猿。まだ、座っている。

４　大きな志を抱いて天を仰いでいる。右側の青い雲は｢青雲の志｣を表す。

５　人生のがけっぷちに立っているが仲間を励ます猿。

６　恋に悩み、もの思いにふける男女の猿。

７　結婚した２匹の猿で、｢人生の荒波｣が彫られ、力を合わせて乗り越えようとしている。

８　妊娠した猿。子供も大きくなりやがて親となっていく。生まれた子供は、また左端に戻り人生を過ごす。

うん、わかりやすい。「見ざる言わざる聞かざる」ってそういうことだったんですね。</description>
         <link>http://4-24.1004aa.com/2007/09/post_8.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">05境内彫刻の解説</category>
        
        
         <pubDate>Wed, 19 Sep 2007 17:38:59 +0900</pubDate>
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