白川郷と五箇山の合掌造り集落
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白川郷、五箇山というのは、江戸時代以前からの地名で、白川郷は岐阜県白川村荻町地区、五箇山は富山県南砺市相倉地区と菅沼地区。
この地域は、国内有数の豪雪地帯で、道路の整備がされるまで、他の地域との交通の便が悪い隔離された地域でした。
こうした厳しい環境や大家族制に適した建築様式として発達したのが合掌造り家屋です。
合掌造り家屋は、急勾配の屋根、広い床面積、3〜5階建ての内部構造などを特色としています。急勾配の屋根は、雪下ろしの負担を軽減するとともに、この地域では、雨量が月平均180mmにも及ぶため、水はけを良くする役目も果たします。
さらに、この地帯は、険しい山間部で平地が少なく、稲作には不向きなため、養蚕や塩硝の生産などが盛んになりました。
こうした作業には広いスペースが必要であったため、合掌造り家屋の屋根裏には、広い作業場が設けられ、明治時代末頃までは、限られた耕地が分家によって細分化することを防ぎ、人手のかかる養蚕業の労働力を確保するため、長男以外は妻帯を許されておらず、一家族、数十人という大家族制でした。
広い床面積を持つ合掌造り家屋は、大家族制にも適した構造となっていました。
◎白川郷
3集落の中で最大の規模。集落は、南北に走る自動車道と村道を中心に広がっており、家屋は、ほとんどが庄川と平行に並んで建っている。現在、113棟の合掌造り家屋が残されていますが、遺産に登録されているのは、そのうち保存状態の良い59棟。
◎相倉
江戸時代末期から明治時代にかけて建てられた家屋が多く、20棟の家屋が遺産として登録されています。白川郷とは異なり、屋根に煙抜き、妻側に庇があり、土間が広くなっています。
◎菅沼
遺産として登録されているのは9棟。とりわけ土地が狭いため、耕作地と宅地が分かれており、入り口脇に便所が設けられている家屋もあります。
◎1995年登録
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